ハウル見てきました。ハウル超かっこよかった。びっくりした。
ホリック気味だった千尋と比べ、今回は客観的に見られる「?」がいくつかあったので、
原作と照らし合わせて、気合入った感想を。
ネタバレ有りすぎです。お気をつけを!
というか、今日は読者を視野に入れません。完全独演体勢です。

もくじ
1)ハウルとカルシファーの関係
2)ソフィーとハウルの恋心
3)荒地の魔女の怒りの原因
4)サリマンから読み取る映画版のテーマ

1)ハウルとカルシファーの関係
 原作も映画もソフィーの呪いを解くかぎは、カルシファーの契約を破ることにある。
ハウルとカルシファーの関係は、
原作でもP225の「元流れ星だったんじゃない?」で
明らかにされるように、ヒントは小出しにしてある。
(でも、私は最後までよくわかんなかった)
 映画では、ハウルとカルシファーの出会いが映像化されていて、
その場面だけ抜き出して考えると、わかりやすくてよかったと思う。
ハウルは才能も美貌も持ち合わせていたけれど、その非凡な能力から
実の姉や義兄から理解されず、けむたがられたまま成長する。
彼は、常に孤独と戦い、人の愛情を求めていたのだと思う。
だからこそ、
地についた時点で命の尽きるカルシファーに近づいたのではないか、と。
一人ぼっちで流れて、一人ぼっちで死んでゆく流れ星もある意味では孤独だし。

2)ソフィーとハウルの恋心
 原作で「ソフィーがハウルを今までとは違う目で見るようになった」
と私が感じたのは、
髪の毛を染めそこなって、落ち込んでるハウルをなぐさめるとこ。
 逆にハウルがソフィーに惹かれたのがいつなのかは、
一回目読んだときは全然わからなくて、
最後の最後で「ぼくたちって…」と言い出したとき、「は? 何だこいつ」と思った。
でも、引越しの際「ソフィー、どんな家に住みたい?」と言っているのは、
特別な目で見ていたってことなのかな…。確証なし。
原作はアンゴリアン先生でうまく隠されているので
ハウルの気持ちが読みにくい。
伏線として完璧すぎたために、最後が唐突な印象を受けた。
私だけかもしれないけど。

 映画で、ソフィーがハウルに恋心を抱くのは冒頭の空中散歩からだと思う。
あのときの「待たせてごめん」は、
過去、流れ星の広場で会っていたからこそ出た言葉かと。
 ハウルのソフィーへの気持ちが素直に出ていた、と思うのが
ハウルが風邪をひいたときの「ソフィー、そばにいて」だった。
 映画はハウルのソフィーを守る姿勢が顕著に現れてて、わかりやすい。
それでも最後、少し物語から離れて客観的になってしまったのは、
ハウルから鳥の羽がぱぁっと散っていくシーン、まるっきりハクだったからかな。

3)荒地の魔女の怒りの原因
 私の読解力がないせいなのですが、
なして荒地の魔女が「私にたてつくものは…」っていうセリフをはいたのか、
ソフィーを90歳にしてしまったのか、
原作を二回読んでもわからなかった。
 原作は240Pくらいから、とたんに人間関係難しくなる。
パーシヴァル(犬人間)の正体が具体的にイメージできず先に進んだ気がする。
具体的にイメージできたら、ホラーに足をつっこむような感じだったけれど。
魔女の仕業で、部品をばらばらにされた(これを想像できんかった)
寄せ合わせがパーシヴァル。
彼は、サリマンでもあり、ジャスティンでもある。
レティーはサリマンにジャスティン捜索のまじないを売った過去がある。
そのため、パーシヴァルのサリマンな面がレティーを覚えていて、
彼女の世話になることになる。
また、サリマンはハウルの先輩で同郷人であることから、
魔女がのろいの一部として必要としていた、
「ハウルが生まれてから一万日目」を知る人物(姉でも親でも)と
接触するきっかけを持っていたのではないだろうか。
要するに、魔女はパーシヴァルをこらしめるため
懇意にしていたレティーにのろいをかけようとしたら、
店にいたのはソフィーだった、と。と…とばっちり?

謎なのは、魔女はソフィーとレティーを勘違いしたままなのか、否か。

最後の方でソフィーに言う
「おまえがサリマンの残りにちょっかいを出したから悪い」の「おまえ」は、
パーシヴァルの面倒を見ていたレティーなのか、
サリマンの使いとして生まれたかかしを助けたソフィーなのか、
いまいち私にはつかめん。
頭をしぼった推測はここまでくらい。かんべんしてください。

映画はもっと単純に考えられる。
カルシファーの契約を解くと約束したソフィーが、ハウルと再会。
ハウルを狙う魔女にとっては、
将来、ソフィーが確実に邪魔になることがわかったはず。
だから、芽は早めにつんだ、と。
魔女はソフィーを恋敵とみなしていたんではなかろか。
あくまでも可能性の一つだけれど。

4)サリマンから読みとる映画版のテーマ
 映画と原作で登場人物が違うのは別にいけないことじゃないと思う。
 映画版のサリマンは、原作の登場人物のいいとこどりをした人である。
そのため、映画の言いたいことを代弁する役目を持った人なのではないかと思う。
容姿と能力はハウルの師匠のペンステモン夫人、
役職は王室付き魔法使いサリマン(でもこの人、男)、
映画における役どころは、ソフィーとの面会など王様の部分と、
ハウルとの魔法対決に見られる荒地の魔女の部分の二つに分かれる。
 で、映画版サリマンの持つ謎は、どうしてハウルを攻撃したのか、と
 どうして物語最後で突然戦争をやめると言い出したのか、だと思う。
まず前者。サリマンはハウルがこのままでは荒地の魔女のように
悪人になってしまうことを懸念し、
ハウルを善の道にとどまらせるために魔法を使ったのではないか。
それにしては派手だ、このばーさん。
そして後者、まず一つめの推測は戦争にジャスティンが関わっていて、
(ジャスティンの行方不明に隣国が関わっているという疑念)
かかしがジャスティンの化身だったことから、
戦争を行う理由がなくなったということ。
二つめは、ハウルの成長のために戦争を舞台として用意した。
でも、こっちはあんまり現実味がない。
弟子一人のために国を操っていたなら、それこそサリマンは末恐ろしい人物である。
ほかにも理由ありそうだけど、頭こんがらがるのでやめ。

で、原作では戦争の「せ」の字もうかがえないことから、
反戦を訴えるテーマは、映画独自のものだと考えられる。
それはサリマンの「こんなばからしい戦争…」からも読み取れる。
あと考えられるテーマは、ハウルとソフィーの恋物語。
90歳になったソフィーと荒地の魔女が階段をのぼるところ等に見られる、
「お年よりが元気だ」ということ(老人問題)
けっこうテーマは盛りだくさんだった。
映画終わったあと「で、この映画は何を一番言いたかったんだろう」と考えたけれど、
全部言いたかった、というのが結論じゃないかと思う。

よし、終わった。長かった。

荒地の魔女が難しくて、帰ってきてから原作を読みふけってた。
この作者、組み立てがすごく複雑。
こんなに物語の裏まで読み取ろうとしたのは、久しぶり。
ちなみに私が一番好きなシーンは、冒頭の空中散歩でした。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索