『クリスマスキャロル』における主人公像
2005年2月8日卒論発表会で読み上げた原稿です。
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クリスマスの本質を探りたいという思いから、
イギリスの作家チャールズ・ディケンズが書いた
『クリスマス・キャロル』を取り上げました。
『クリスマス・キャロル』は、強欲で冷酷な主人公エビニーザ・スクルージが、
クリスマスに起こった出来事を通して改心する物語です。
スクルージの言動や行動から心の変化を追い、
『クリスマス・キャロル』の魅力や
クリスマス物語に託したディケンズの思いを考えます。
物語には、ディケンズの子ども時代の体験や彼の教育感が反映しています。
ディケンズは、経済観念のない父親のせいで、
幼いころから転居をくりかえしました。
貧しい暮らしはいつまでたっても改善されず、
12歳になったディケンズは靴墨工場で働くことになります。
望まない労働を強いられたことは、ディケンズの自尊心を著しく傷つけました。
このような少年時代の苦い経験から、
ディケンズは教育を受けられない子どもが一人でも減るようにと
執筆活動のかたわら、各地で教育普及の講演会を行います。
『クリスマス・キャロル』の構想は、講演会を重ねる中で思いついたそうです。
ディケンズは、物語を一つの聖歌として表現するため、
章立てに「歌の連や節」を意味する‘stave’を使用しました。
歌の技法を意識した、繰り返し、倒置法、主観を交えた描写などが
多く用いられています。
物語はクリスマス・イブから始まります。
スクルージは物事を損得ではかっており、
クリスマスを「働かないのにお金を使う日」だと主張します。
クリスマスの来客も邪魔者扱いし、追い返します。
イブの晩、
スクルージはかつての共同経営者ジェイコブ・マーレイの幽霊に出会います。
マーレイが巻いている、死を象徴するターバンが
スクルージに最初の変化をもたらしたと私は考えます。
マーレイは、生前、人のために働かなかったことを後悔しており、
スクルージが同じ思いをしないように、3人の精霊を遣わすと約束します。
3人の精霊は、それぞれ過去、現在、未来を象徴する存在として現れます。
過去の精霊とスクルージは、幼年期と青年期を旅します。
幼年期のスクルージは、家が貧しく、親の愛情に恵まれませんでした。
しかし妹や奉公先の雇い主からあたたかい心遣いを受け、すこやかに育ちます。
そのような場面を見て、
スクルージは自分が一人で生きてきたわけではないことに気づきます。
青年期のスクルージは必死に働き、貧しさから脱却します。
貧困の厳しさを知っていたからこそ、
スクルージは金銭がもたらす豊かさを痛感し、富の追求を始めます。
このような過程を知ると、
私たちはスクルージを「強欲」の一言で片づけられなくなります。
現在の精霊は、
スクルージが普段冷たく接している事務員ボブ・クラチットの家に導きます。
そこで、一家がスクルージの健康を祝う乾杯を行うさまを目にします。
また、スクルージは
ボブの息子で病気がちなティムから目を離すことができません。
その様子から、他人をいつくしむ心を取り戻したことがうかがえます。
過去と現在の精霊が、思いやりや気遣いなど明るい場面を多く見せたのに対し、
未来の精霊が見せる場面には死の影がつきまといます。
ティムが亡くなり、スクルージ自身も孤独な死を迎えます。
スクルージは、精霊に許しをこい、自らの罪を悔い改めると誓います。
幼い自分の笑顔や、ティムの笑い声が記憶に新しいため、
悲惨な未来が重くひびいてきたのでしょう。
『クリスマス・キャロル』でディケンズが伝えたかったことは、
いつまでも成長可能な人間の特性と隣人愛の二つではないかと思います。
ディケンズはスクルージを通して、
人はいくつになってもどんな環境にあっても成長できることを書いています。
また、面識のないティムへのプレゼントや
赤の他人への寄付から無償の愛を読み取ることができます。
知らない人に優しくすることは勇気がいることです。
クリスマスはその勇気が与えられる日でもあり、
多くの人に他人への思いやりを抱かせる日だと考えます。
スクルージはたった一晩で劇的な変化を遂げました。
スクルージの改心を非現実的だと考え、物語を感傷的だととらえる見方も可能です。
ですが、私はディケンズが希望をこめてスクルージを書いたと考えます。
ディケンズは、『クリスマス・キャロル』が単なる物語で終わらず、
現実世界でもスクルージのように、
他人を思いやる人が増えることを願っていたのではないでしょうか。
『クリスマス・キャロル』は
愛情や信頼など、目に見えないものを信じるための物語であり、
読むたびに新しい発見と変わらぬ安心感が得られます。
それがこの物語の最大の魅力であり、クリスマスの本質でもあると思われます。
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クリスマスの本質を探りたいという思いから、
イギリスの作家チャールズ・ディケンズが書いた
『クリスマス・キャロル』を取り上げました。
『クリスマス・キャロル』は、強欲で冷酷な主人公エビニーザ・スクルージが、
クリスマスに起こった出来事を通して改心する物語です。
スクルージの言動や行動から心の変化を追い、
『クリスマス・キャロル』の魅力や
クリスマス物語に託したディケンズの思いを考えます。
物語には、ディケンズの子ども時代の体験や彼の教育感が反映しています。
ディケンズは、経済観念のない父親のせいで、
幼いころから転居をくりかえしました。
貧しい暮らしはいつまでたっても改善されず、
12歳になったディケンズは靴墨工場で働くことになります。
望まない労働を強いられたことは、ディケンズの自尊心を著しく傷つけました。
このような少年時代の苦い経験から、
ディケンズは教育を受けられない子どもが一人でも減るようにと
執筆活動のかたわら、各地で教育普及の講演会を行います。
『クリスマス・キャロル』の構想は、講演会を重ねる中で思いついたそうです。
ディケンズは、物語を一つの聖歌として表現するため、
章立てに「歌の連や節」を意味する‘stave’を使用しました。
歌の技法を意識した、繰り返し、倒置法、主観を交えた描写などが
多く用いられています。
物語はクリスマス・イブから始まります。
スクルージは物事を損得ではかっており、
クリスマスを「働かないのにお金を使う日」だと主張します。
クリスマスの来客も邪魔者扱いし、追い返します。
イブの晩、
スクルージはかつての共同経営者ジェイコブ・マーレイの幽霊に出会います。
マーレイが巻いている、死を象徴するターバンが
スクルージに最初の変化をもたらしたと私は考えます。
マーレイは、生前、人のために働かなかったことを後悔しており、
スクルージが同じ思いをしないように、3人の精霊を遣わすと約束します。
3人の精霊は、それぞれ過去、現在、未来を象徴する存在として現れます。
過去の精霊とスクルージは、幼年期と青年期を旅します。
幼年期のスクルージは、家が貧しく、親の愛情に恵まれませんでした。
しかし妹や奉公先の雇い主からあたたかい心遣いを受け、すこやかに育ちます。
そのような場面を見て、
スクルージは自分が一人で生きてきたわけではないことに気づきます。
青年期のスクルージは必死に働き、貧しさから脱却します。
貧困の厳しさを知っていたからこそ、
スクルージは金銭がもたらす豊かさを痛感し、富の追求を始めます。
このような過程を知ると、
私たちはスクルージを「強欲」の一言で片づけられなくなります。
現在の精霊は、
スクルージが普段冷たく接している事務員ボブ・クラチットの家に導きます。
そこで、一家がスクルージの健康を祝う乾杯を行うさまを目にします。
また、スクルージは
ボブの息子で病気がちなティムから目を離すことができません。
その様子から、他人をいつくしむ心を取り戻したことがうかがえます。
過去と現在の精霊が、思いやりや気遣いなど明るい場面を多く見せたのに対し、
未来の精霊が見せる場面には死の影がつきまといます。
ティムが亡くなり、スクルージ自身も孤独な死を迎えます。
スクルージは、精霊に許しをこい、自らの罪を悔い改めると誓います。
幼い自分の笑顔や、ティムの笑い声が記憶に新しいため、
悲惨な未来が重くひびいてきたのでしょう。
『クリスマス・キャロル』でディケンズが伝えたかったことは、
いつまでも成長可能な人間の特性と隣人愛の二つではないかと思います。
ディケンズはスクルージを通して、
人はいくつになってもどんな環境にあっても成長できることを書いています。
また、面識のないティムへのプレゼントや
赤の他人への寄付から無償の愛を読み取ることができます。
知らない人に優しくすることは勇気がいることです。
クリスマスはその勇気が与えられる日でもあり、
多くの人に他人への思いやりを抱かせる日だと考えます。
スクルージはたった一晩で劇的な変化を遂げました。
スクルージの改心を非現実的だと考え、物語を感傷的だととらえる見方も可能です。
ですが、私はディケンズが希望をこめてスクルージを書いたと考えます。
ディケンズは、『クリスマス・キャロル』が単なる物語で終わらず、
現実世界でもスクルージのように、
他人を思いやる人が増えることを願っていたのではないでしょうか。
『クリスマス・キャロル』は
愛情や信頼など、目に見えないものを信じるための物語であり、
読むたびに新しい発見と変わらぬ安心感が得られます。
それがこの物語の最大の魅力であり、クリスマスの本質でもあると思われます。
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